パクリ記事

 

しばらく前のことですが
パクリ記事が問題になったことがありました。

 

グーグル検索で、何かしら文字を打ち込んで検索をすると
タイトルが同じ。
文頭から文末まで同じ記事がずら~り。
大元の記事を書いた人は
気付いた時、どう思っていたのだろう・・・

 

こういうことが許されるんだ~
って思っちゃいますけど
いえいえ、まったく許されていないことなのです。
著作権侵害になるので
裁判になることもあるわけですから。

 

ふと思ったんですけど
記事をパクルっていう
その定義ってあるのかなと。

 

文頭から文末までまるっきり同じだったら
それはもう、見るからにパクリですよね。
文章の半分でも、パクリ。
文章の1/3でも、多分パクリ。
では
文頭から 。までの1行だったら?

 

人の脳は
視覚で得た情報、聴覚で得た方法
触覚で得た情報、体感で得た情報など
1秒間にものすごい膨大な量の情報を処理しています。
しかし、これらすべての情報を記憶として残すのではなく
自分に必要な情報と
そうでない情報を瞬時に判断し
残しておきたい情報は
潜在記憶として、脳の引き出しにストックされます。

 

何かの時に、ぽっと出てくる言葉やイメージは
この潜在記憶のストックから
引き出されている場合が多いのです。

 

新聞を読んでも
本を読んでも
ブログを読んでも
意識せずとも
自分に必要な情報は
潜在記憶にストックされていくのです。

 

ワタクシの場合、ブログを書く時
その潜在記憶から引き出された情報を
書くこともあります。
情報元の記憶があればその旨記しますけど
大体は忘れているものです。

 

なので
確かテレビで知った情報だったな~
というのが思い出されれば
「何かのテレビでやっていたのですが」
と、付け加えたりもするし

 

本で読んだかな~って思えば
「何かの本で読んだのですが」
と付け加えることもあります。

 

しかし
その情報はどこで得たものか、は不明なものが多いのです。

 

ある人のブログを読んでいた時
堀江貴文さん著書「ゼロ」に掲載されていた
短い文章が書いてあることに気が付きました。

 

その文章は
ワタクシの潜在記憶に残っていたので気づいたわけですが
その記事には、引用した旨の記載はありませんでした。
もしそれを、堀江貴文さんが見つけたとしたら
どう思うでしょうか?
堀江貴文さんだったら、おそらく
そんなことは気にしないでしょう。

 

そのブログを読んだ時
ワタクシはこう思ったのです。

 

「きっと、潜在記憶から引き出されたのだろうな」
そして
その情報元がどこかの記憶はないんだろうなと。

 

結局のところ
パクリと言うのは
パクル人が「パクル」意識でやっているのか
パクラレタ人が、「パクラレタ」と感じるのか
という感情論じゃないかと思うのです。

 

例えば、出版の世界では
ジャンルが同じであれば
内容が似通ってきてしまうこともあります。
ある本と内容が似通っている場合
まったく知らない著者に
「私の本をパクッタでしょう」
と言われることだってあるのだそうです。

 

人様の潜在記憶までコントロールすることは
どう考えても不可能です。

 

たった1行であったとしても
パクリ意識があるのなら、その人にとってはパクリ。

 

潜在記憶からの言葉は
いつ、どこで、何から
が不明なこともあるので
そういう点を考えると
必ずしもパクリとは言えず
それは「表現の自由」という
カテゴリーに入るのかな
とワタクシは思うのです。

 

今日の記事は、ブログを書き始まってから1343記事目。
多くのブログやサイトで
それぞれの記事が引用されていて
それはとてもありがたいことです。
もしかしたらパクられていることもあるかもですが
そうであっても、それだけこのブログは注目されてるんだな~
と思うことにしています。(実際は違くても)
だって
その方がわくわくしてくるし
コピーはオリジナルを超えることができない
と思っているから。

 

解釈の仕方は人それぞれ、
自由なのだから
いいほうに解釈しています。

 

最後まで読んでくださりありがとうございます。
この記事から1つでも拾うところがあれば幸いです。

 

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